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概要

EDUCATION500

History of SHIMADZU今こそ,伝統を受け継ぐ者の使命を果たす地球規模の異常気象,大規模災害,あるいは資源や領土問題など,現代はある意味で激動の時代と言えます。教育現場では2020年から新しい学習指導要領が始まる予定です。グローバル社会に対応した人材が求められており,主体的・対話的に学ぶ「アクティブ・ラーニング」やICT機器を活用した新しい学習スタイルが始まっています。こうした状況の中で,私たち教育機器に携わるものの社会的責務を考えるとき,明治の激動期を生きた創業者を思わずにはいられません。科学とは無縁であった一人の人物が科学知識の普及を願い,不断の探究心と努力で数々の教育用理化器械を作り,日本の科学発展の一翼を担ったことを考えると,どんな時代にも忘れてはならない姿がそこにある気がします。島津理化は,創業者の志を受け継いでいる会社です。科学に興味をもたせ,探究する楽しさと感動を味わい,そこから生きる力を子どもたちに養ってもらうために,時代に課せられた責任を果たしていきたいと考えています。理化器械目録表1882年(明治15年)弊社に現存する最古のカタログ未来の科学を育んだ土壌島津源蔵が生まれたのは,1839年(天保10年)のことです。仏具職人の次男として生まれた源蔵は,1860年(万延元年)21歳のときに分家し,高瀬川の北端,高瀬舟の往来でにぎわう木屋町二条で仏具の製造を始めました。しかし平穏に暮らしていた源蔵に,新しい歴史の波が押し寄せます。開国,そして明治維新。世の中は一気に流れ込んできた欧米の文化や科学技術に接して,西洋に追いつくことを急務とし,京都府では西洋の最新技術を導入して産業の復興を図ろうとしました。木屋町二条一帯を近代科学技術の一大拠点に据え,勧業場,舎密局(工業試験場)等を設置し,欧米の新しい理化学の教授,実験,製造を行ったのです。源蔵は初めて見る西洋の器械や科学知識に魅せられ,頻繁に舎密局に通い,理化学を学びました。そうして知識を吸収していくうちに外国器械の修理や整備の仕事が入り始め,源蔵は修理しながらさらに製品の研究を重ねていきました。初代島津源蔵初代源蔵の業績欧米の科学技術にふれた源蔵が科学の必要性を痛感し,教育用理化学器械製造の業を興したのは,1875年(明治8年)のことでした。その2年後の1877年(明治10年)には,東京・上野で開かれた第1回内国勧業博覧会に医療用ブーシー(ゾンデ)を出品し,褒状を受けています。源蔵は同年,わが国初の有人の軽気球の飛揚に成功し,以来数々の理科実験器を開発・製造して,1882年(明治15年)には総数約110点を掲載した「理化器械目録表」を編むに至りました。さらに1886年(明治19年)には,京都尋常師範学校の教師として招かれるまでになりました。木製の足踏み式旋盤舎密局の教師ワグネルから贈られたといわれる足踏み式旋盤。創業当時,数々の理化学器械はこれによって作られた。2製品の改良のため,予告なく仕様や外観を変更する場合もありますので,ご了承ください。商品によっては送料や据付費用が必要となる場合もございます。()内に記載された金額は税込価格(消費税率8%)です。